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レッドムーダンはどこまで実話?元ネタの楊淑妃との違いは?

レッドムーダンはどこまで実話?元ネタの楊淑妃との違いは? 漫画
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レッドムーダンという漫画をご存知でしょうか?

7世紀の唐王朝を舞台に、中国の歴史で唯一の女帝になった武照(のちの則天武后)の半生を描いたお話になっています。

則天武后というと中国三大悪女として有名で、歴史(特に中国史)に詳しい人なら聞いたことがあるでしょう。

漫画の内容はどこまでが実話なのか、実話との違いはどうなっているのか気になりますよね。

また第3、4話で武照と楊淑妃が出会い、衝撃的な出来事が起こります。

作中に出てくる楊淑妃は本当に実話なのか、元ネタとの違いはあるのか気になることが多々でてきますね。

そこで、レッドムーダンはどこまで実話?元ネタの楊淑妃との違いは?について調べていきます。

 

レッドムーダンはどこまで実話?

レッドムーダンは、実話とフィクションを合わせて描かれているでしょう。

実在した人物が登場している、則天武后が女帝になるところは実話です。

古代中国には後宮が存在し、皇帝の妃や妾が住んでおり入内したらその時期により位の種類は異なるが、それぞれに位を与えられ、規則がある中で生活をします。

実際、武照も14歳で後宮に入り生活をしていました。

マンガでは一番下の位を与えられ、史実でもそれほど高位ではなかったため実話に近いでしょう。

武照が入内し、他の妃たちから酷い仕打ちを受けているシーンがありましたが、実際に数々のいじめを受けたなどの具体的な記述はありません。

皇帝からの寵愛を受けたい気持ちが強く、何かしらのトラブルが生じた可能性もありますが事実は分からないですね。

楊淑妃が高慢で冷淡な性格をしているところなどはフィクションではないでしょうか。

作中の中で楊淑妃が下女の手足を切断し、酒壷に入れる場面が描かれていますが楊淑妃についてほとんど文献に残っておらず詳しいことは分かっていません。

しかし、この場面では実話が元ネタとなっておりそれを行ったのはなんと則天武后です。

この恐ろしさが悪女といわれるゆえんなのかもしれませんね。

 

レッドムーダンは則天武后がモデル?

レッドムーダンは、則天武后がモデルです。

中国の唐の時代に皇后そして女帝という頂点へと昇りつめます。

[voice icon=”https://www.varietynews.info/wp-content/uploads/2019/10/14.png” type=”l”]レッドムーダンって則天武后がモデルになっているって本当なの?[/voice] [voice icon=”https://www.varietynews.info/wp-content/uploads/2019/10/17.png” type=”r”]本当だよ![/voice] [voice icon=”https://www.varietynews.info/wp-content/uploads/2019/10/14.png” type=”l”]そもそもどんな人なの?[/voice]

才色兼備で生まれつき美貌を持ち合わせていた武照は、14歳の時に太宗・李世民の後宮(皇帝の后たちが住む宮殿)に入内します。

初めは寵愛を受けていたが男勝りな性格、太宗と20歳以上年の差があったため疎遠となり、子どもはいません。

そのまま太宗が亡くなり出家する規則だが、武照は尼になることを避け道士となり修行の道を歩みます。

太宗が亡くなった後は、高宗・李治が第三代皇帝へ即位。

李治は皇太子時代に武照会う機会があり密かに気になっていたようです。

後宮では皇后と寵姫・粛淑妃が高宗を巡り対立しており、皇后は寵姫の注目を避けたいため高宗が昔、武照に気があったことを思い出し、武照と高宗を逢わせました。

皇后は武照を世俗に戻らせ、再度後宮入りし、当時の昭儀の位(上から5番目の地位)を与えています。

武照は高宗の寵愛はもちろん、皇后の機嫌も取りつつ、宮中での地位を固めていくのです。

そして武照は高宗との子どもを出産。

粛淑妃から高宗の寵愛を背けることに成功した皇后ですが、自分自身は子どもを授かることができない身体のため高宗の寵愛は必然的に武照へ奪われます。

武照を疎ましく思った皇后は、武照へ企みを目論むが武照によって失敗に終わります。

皇后は武照の子どもに会いに行き、まるで自分の子どもかのように可愛がりました。

武照は皇后が部屋を抜けるタイミングを見て、自分の子どもを殺したのです。

武照は子どもの死体を高宗に見せ皇后が殺したと吹き込み、高宗を怒こらせ皇后を廃后に追い込み、自分の子を殺してまで武照は遂に皇后へと昇りつめたのです。

 

則天武后は最後に殺された?

則天武后の死について諸説ありますが、病死(自然死)が有力とされています。

[voice icon=”https://www.varietynews.info/wp-content/uploads/2019/10/14.png” type=”l”]則天武后って最後はどうなったのかな?[/voice] [voice icon=”https://www.varietynews.info/wp-content/uploads/2019/10/17.png” type=”r”]悪女って言われてたから、恨んでる人もいたと思うし、暗殺や処刑でもされてそうだね。[/voice] [voice icon=”https://www.varietynews.info/wp-content/uploads/2019/10/14.png” type=”l”]昔は権力者の暗殺とか処刑があったから、悪女なんて呼ばれてるし暗殺されたのかな。[/voice]

彼女は残酷な策略や弾圧し、非難される部分も多々あります。

しかし、皇帝に代わり国を治め、政治を動かし、適材適所で人材を選抜するなど様々な場面で高く評価されています。

生涯年齢については不確定ですが、656年から705年ごろまで生きたとされているため、推定70代か80代で亡くなったとされています。

悪女と呼ばれているがその陰で高い評価を得ており、その人生を全うしたのではないでしょうか。

 

レッドムーダンの元ネタ楊淑妃の実話はどこまでで違いはどこ?

レッドムーダンに登場する楊淑妃という人物はいったいどんな人か、楊淑妃が行った酒漬けのシーンと手足切断する刑罰についてどこまで実話で違いはあるのか調査しましたので、ぜひ参考にしてください。

まず、楊淑妃はどんな人だったのかについてまとめました。

[voice icon=”https://www.varietynews.info/wp-content/uploads/2019/10/14.png” type=”l”]マンガの中の楊淑妃が冷徹で怖かったけど実際にいたの?[/voice] [voice icon=”https://www.varietynews.info/wp-content/uploads/2019/10/17.png” type=”r”]実在していたのは確かだけど、どうゆう人なのか分からないわ。[/voice]

楊淑妃は隋楊帝の娘であると史実に残っていますが、性格や起こした出来事など詳細は一切分かっていない。

作中の通り、意地悪な性格だったのか、逆に他の妃達から信頼されていたかもしれません。

「史実に残る出来事がない = インパクトのある出来事がない」と捉えられますよね。

際立つ特徴がなく普通の人だった可能性もあるかもしれないですね。

皇帝の寵愛を受けたい女のバトルは激しかったと考えられるため、妬み・嫉み・恨みなどは日常茶飯事だったのではないでしょう。

下女は妃には逆らえない立場にあり、ストレス発散のはけ口にされることも多々あったと思います。

史実に残っていないため人により楊淑妃の人間像は様々な意見があることでしょう。

作中と同じく悪女だと考えたり、私のように凡人と考えたり、逆に人格者と考えるのも良いと思います。

 

レッドムーダンの元ネタ楊淑妃の酒漬けの実話はどこまでで違いはどこ?

レッドムーダンで楊淑妃が下女を酒漬けにする描写がありましたが、実話は違います。

作中で楊淑妃の誕生日のお祝いの席で、彼女の服にお茶をかけてしまった下女を武照が庇いました。

その場はトラブルに発展せず、祝いの席はお開きとなりました。

後日、武照は楊淑妃にお酒を飲もうと部屋に誘われて、二人で乾杯します。

楊淑妃はそこで「服へのこだわり」について語り、そのプライドとも言える大事な服を武照に侮辱されたことが許せなかったそうです。

初めから武照と仲直りする気などなかったのですね。

酒壷を覗くよう言われた武照は、酒壷の中に不始末を庇った下女が殺されて入れられているのを見せられます。

乾杯したお酒こそ、下女を酒漬けにして作ったものでした。

史実では則天武后が前皇后と粛前淑妃を百叩きにし、「骨まで酔わせてやる」と言い酒壷に投げ込んだそうです。

2人は酒壷の中で数日後に絶命しました。

酒漬けのシーンは則天武后の史実をもとにした場面だと推測することができますね。

 

レッドムーダンの元ネタ手足を切断する刑罰の実話はどこまでで違いはどこ?

レッドムーダンで、楊淑妃が下女の手足を切断し酒壷に入れる場面ですが、これも実話と違いますね。

則天武后が前皇后と粛前淑妃を酒壷に入れる前に四肢を切り離したと史実に残っていました。

さらに人豚の刑という刑罰があり、則天武后と同じ中国三大悪女の呂雉が行ったとされています。

これは四肢だけではなく、目・耳・喉を潰してから豚小屋に放置するというものです。

死にはしないギリギリのラインで放置し、死ぬまでの時間を恐怖のどん底に落とすとか惨いですよね。

作中の下女は四肢を切断され目も抉り取られて酒壷に入れられてたので、手足を切断する元ネタはこれを参考にしていそうです。

 

まとめ

レッドムーダンはどこまで実話?元ネタの楊淑妃との違いは?について考察してきましたがいかかだったでしょうか。

レッドムーダンは則天武后が後宮に入内し、どのようにして女帝まで駆け上がるのかについて描かれています。

実際にマンガを読んでみて則天武后の心優しさは勇気づけられるものがありつつ、楊淑妃との関りではハラハラするような展開を始め、後宮の恐ろしさも感じられるものでしたね。

後宮にて様々な困難がある中で、則天武后がどうやって中国で唯一の女帝となり、なぜ悪女と呼ばれるようになったのかを漫画ではどんな展開で描かれていくのか気になります。

マンガで描かれている内容はどこまで実話なのか、楊淑妃については実話と違いはあるのか、そもそも元ネタはどうなんだろうと調べてみると新しいことを発見できると思います。

今後レッドムーダンの展開が楽しみですね。

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